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「他の利用者の迷惑にならないようお静かにお願いします」
古くなり黄色く変色した貼り紙を見ながら私は昼食用のパンを食べていた。窓の外では今にも降り出しそうな空模様のもと国道を行きかう車やトラックが次々に連なっていた。耳元のイヤホンからはラジオの天気予報が流れてきた。昼過ぎからにわか雨にご注意ください。その声を心の中で反復したとき、私は傘を持ってきていないことに気づいた。
自動販売機に小銭を入れ、ミルクティーのボタンを押した。ゴトンと音がして500ml入りのペットボトルが出てきた。かがんでそれを取り出すと、振り返って図書館の入り口を目指した。ぼんやりしながら自動ドアの前に立ったとき、中から出てくる人とすれ違った。私より頭半分くらい背が高い、細い体つきの・・・。
はっとしてその横顔、正確には横肩を目で追った。黒いTシャツ、暗い色のジーパン。ほんの一瞬だった。半分まで振り返って再び前を向いたとき、私は、自分の心臓が思いの外忙しく動いていることに気づいた。
彼はいつも学習室の前の方の机で勉強していた。私は常にどちらかと言うと後ろ側に座っていたので、毎日彼の背中を見ていた。逆に言うと、顔はほとんど見たことがなかった。彼は問題集を広げてもしばらく何も書かずにじっと見ていることが多かった。ただ眺めているだけのようにも見えた。けれども背筋はしっかりと伸びていた。
一度彼が私の斜め前の席に座ったときどういう問題集を解いているのか見てみたことがあった。彼が解いていたのは私が目指している大学の過去問だった。
彼は私が昼食の為に席を立つ時間には依然として問題を眺めていた。しかし私が昼食を終え戻ってくるとその机上には彼が眺めていた問題集だけが取り残されているのだった。
私が朝一番に図書館に来ると学習室にはいつも炭酸飲料を持ってくる五十代後半くらいのワイシャツを着た男性と、怒ったようにどすどすヒールを鳴らして歩くやはり浪人と思しき眼鏡をかけた茶髪の女の子が居るだけだった。眺める彼は私が来てから一時間ほどしてやってきて、私が早々と切り上げて帰っていく夕方にはやはりまだ眺めていた。ただしその時間眺める対象は過去問から文庫本に移り変わっていたりもした。
全く彼が過去問を眺めるのと同じく気づいたら私も彼を眺めていた。彼の伸びた背筋を眺めていた。他の人の背中で眺めが遮られると一人で少々不機嫌になったりもした。眠くなって聴いていたラジオからはニュースが流れてきたりもした。
学習室が混んでいて前の方の席が開いておらず、彼が私の斜め後ろに座った日もあった。私はまともに後ろを振り向くことができなかった。だいいち後ろを振り向く人はあまり居ないのでとりわけ私が特異というわけではなかった。私は昼食に立つとき彼の席の横を通り過ぎながら何気ないふうを装いその顔をうかがった。彼は相変わらず眺めていた。私はやはり彼の顔をまともに見ることができなかった。だいいち通りすがりとはいえ他人の顔をじろじろ見る人はあまり居ないのでとりわけ私が特異というわけではなかった。
入り口ですれ違ったのはその日のことだった。自分の席に戻ってからしばらく心臓の音を聞いてぼんやりしていた。彼が昼食を終え戻ってきても尚ぼんやりしていた。私はいつもより20分速く切り上げた。彼は背筋を伸ばして文庫本を眺めていた。にわか雨には遭わなかった。全てが創作という訳ではなく、全てが実話という訳ではない。世の中とはそういうものだ。
Ⅲ.
私は、たった一人の世界をさまよい歩いていた。
ひとり・・・・・。
私のほか、誰一人としていない世界は、まるで時が止まったかのように静かだった。
町からはいっさいの雑音が消え、心なしか今まで灰色だった空はすっきりと澄んだように見えた。
綺麗だ――。
これこそが、私の夢見ていた世界。誰もいない、わたしの思うがままの世界。無音の中にうずまり、余計なものが一切ない景色に見とれながら、私はしばらくその“新しい世界”に浸っていた。
それから10日が経った。相変わらず世界は静かだった。人間がいなくなった世界は日に日に美しくなっていく。
誰もいないところに10日もいようものなら、気が狂ってもおかしくないはずなのに、不思議と私は、まったく平気だった。
朝起きて、服を着替えて、朝食を食べ、時間になったら、学校へ行く。
誰もいないはずなのに、どうしてか、いつもと同じ毎日を送っていた。学校へ行ってももちろん無人。授業がないのだから行く必要はないのだけれど、何となく、いつもと同じ生活をしなければならない気がした。
その人が現れたのは、世界から人が消えて、28日目のことだった。
この世に神様は存在するのでしょうか。そう考えたところで答えが分かるわけもなく、証明することも出来ません。誰かの心の中だって、覗くことができないのですから、本当にこうだとか違うだとか、それを確かめるすべはありません。
それでも、今年も変わらず、春はやってくるのです―。
公園に、一本の桜の木がありました。ずっとずっと昔から、毎年、春になるとたくさんの花を咲かせていました。
今年も、暖かい春の日差しの中で、桜のつぼみが少しずつ、ふっくらとしてきました。
神様が、ちょこんと、その木の枝に腰掛けました。風がさーっと吹き、女の子がやってきました。
両親は仕事だし、誰もいない家に帰るのが億劫で、駅から出ると、家とは反対方向の公園へ向かった。
今日は高校の合格発表日。私は一応、合格した。そう苦労しないでも入れるレベルのところを受けただけだから、さしてうれしくもない。でもまあ、解放感はある。
公園の真ん中にある桜の木の下に腰を下ろし、空を見上げた。
本当によかったんだよね、これで。
何事もなかった卒業式。ただ普通に時間が過ぎていき、みんな、いつものように帰っていった。まるで明日も、またこの場所で会えるかのように。
もう、一生会えない人も、あの中には、いたんだろうなあ。改めてそう感じた。
ふと、ある人のことを思い出した。結局、はっきりとは伝えられなかった。伝える、というほどのことではなかったけど、せめて・・・。
そう考えて、慌ててその考えを追い払った。だめだ、そんなふうにしてはいけない。
もう一度空を見上げる。そこには、ただ青い空があるだけだった。
しばらくして、女の子は立ち上がり、公園を出て行きました。神様は近くの枝を、手でやさしく包みました。手を離すと、つぼみがふわりと開き、薄いピンク色の花が咲きました。小鳥が飛んできて、歌を歌いました。神様は目を閉じ、それを静かに聴いていました。
やがて、小鳥が飛んでいくと、今度は男の子がやってきました。
特に残念とも思わないが、結果は不合格だった。もともと、受かったら奇跡と言われていたところだし、はっきりいってどうでもよかった。
ふと、心の片隅に、ある同級生の顔が浮かんだ。
結局、あれっきりだったな。
あれ以来、何も無かった。ごく平凡に、中学校生活は終わった。今度さっそく同窓会があるみたいだが、俺は参加しないつもりだ。いつまでも卒業気分に浸っていても、仕方がない。それにしても・・・。
あれで終わりなら、礼くらいは言っておくんだった。
少しだけ後悔した。まあ、いまさらどうにもならないのだが。
見上げると、桜の花が一輪、青空をバックに咲いていた。
男の子も去っていくと、神様は片手をぐるりと大きく回し、円を描きました。すると、まだ固く閉じていたつぼみが一斉に開きだし、あっという間に桜は満開になりました。
ある日の夕方、私は晩ごはんにする弁当を買いに出かけた。お父さんとお母さん、今日も遅いだろうなあ。そんなことを考えながら、公園の前を通り過ぎようとした。ふと、この前見た桜の木を見上げた。
うわあ、満開だ。
私はこの間と同じように桜の木のそばまで行き、その幹に手を当てた。そのとき、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。
塾に行く途中、自転車で公園の前を通り過ぎようとしていると、桜が満開になっていることに気づいた。この前見たときはまだ一輪しか咲いてなかったのに。俺は思わず自転車を止めた。
そして、木を見上げているあいつを見つけた。
神様がうたた寝から目覚めると、木の下に男の子と女の子がいました。この前見たあの子たちです。神様は近くに咲いていた桜の花を一つ手に取ると、ふうっと息を吐いて飛ばしました。
「うっす」
「やっほ。久しぶり」
「そんなに久しぶりってわけでもないけどな」
「そういえばそうだね」
そんな他愛のない言葉を交わしながら、私たちは木の幹にもたれかかり、いつものように笑いあった。
彼は少し上の方を見ると、少しまじめな顔をして言った。
「この前、ありがと」
「ああ、うん」
「・・・嬉しかったから」
「そっか。よかった」
頭上から、桜の花が一輪落ちてきて、彼の肩の上に乗った。
私はそれを取り、そっと自分の手に乗せた。少しの風でも簡単に飛ばされてしまいそうなくらい小さな花が、私の手の上で咲いていた。私はそれを手のひらに乗せたまま、もう一度木を見上げ、言った。
「もう満開だね」
「ああ」
彼も腕を組んで桜を見上げた。
何となく、そこには神様がいるような気がした。
二人は歩き出し、公園から出て、それぞれ反対の方向へ別れていきました。神様はそれを見届けると、天へと戻っていきました。
それから何回も何回も季節がめぐり、今年もまた春がやってきました。公園の桜のつぼみは、だんだんとふくらみはじめました。
向こうの方から、公園の前の道をこちらへ向かって歩いて来る人がいました。反対側にも、こちらに近づいてくる人影が見えます。
二人は、神様の座っていたその桜の木の方へ、ゆっくりと、近づいてきました。
【終】
※誰がどう言おうとこれは「証明」の作品です。ははっ。それから、寿へ。次は49番でお願いします。